CASEメンバーの宅さんより、どら焼きをいただきました。
ありがとうございます!
中村屋の「どら焼 栗あん」です。
みんなでいただきました!
手のひらより一回り大きい、どっしりとしたサイズのどら焼き。
せっかくですので一口サイズにカットし、コワーキングスペースご利用者の方にも召し上がっていただきました!
切ってみると、栗を練り込んだ白っぽい餡子がたっぷり。
餡の中にはさらに小さく切った栗が入っています。「栗あん」の名前通り、まさに栗ずくしの餡!
さっそく一ついただきました。
生地はふんわりしっとり、甘すぎない餡子は栗の風味がしっかりしていて、まるで栗きんとんみたいです。
和風の上品な美味しさで、緑茶にとてもあいそう。
秋にぴったりなどら焼きでした!
中村屋の歴史がおもしろい!
「中村屋」と聞くと、いちばん最初に連想するのはカレー、という人も多いのではないでしょうか?
日本に亡命したインド人のラス・ビハリ・ボース氏を中村屋がサポートしたことがきっかけで、中村屋に本場のインドカレーが伝えられたお話は有名ですよね。
昭和初期、日本にはすでにカレーライスがありましたが、それはイギリス経由で渡ってきた小麦粉を使った欧風料理。本場インドのカリーとは程遠いものでした。(中略)
新宿中村屋 公式ホームページ
ボースは、祖国インドの味を日本に伝えるため、純印度式カリーを名物料理にした喫茶部をつくろうと提案します。そして昭和2(1927)年6月12日、喫茶部(レストラン)を開設。同時に、純印度式カリーが発売されました。(中略)
当時、町の洋食屋のカレーが10銭から12銭程度でしたが、中村屋のカリーは80銭。それにも関わらず飛ぶように売れたそうです。こうして、純印度式カリーは中村屋の名物料理になりました。
でも中村屋はもともとパン屋さん。創業は明治34年で、なんとクリームパンの生みの親でもあります。
創業者夫妻はある日、初めてシュークリームを食べてその美味しさに驚きます。そしてこのクリームをあんぱんの餡のかわりに用いたら、一種新鮮な風味が加わって、あんぱんよりも少し高級なものになると考えたのです。また、子供にとっては、小豆と砂糖だけの餡よりも、乳製品を使ったクリームのほうが栄養価の面で良いのではないかという考えもありました。
新宿中村屋 公式ホームページ
また、中国の伝統的なお菓子である月餅を、和菓子風にアレンジして日本に紹介したのも中村屋。昭和2年のことでした。
当初は期間限定の発売の予定でしたが、好評を得たため、通年で販売するようになったそうです。
「中国の月餅」を「和菓子としての月餅」に仕立てることにしました。
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ポイントは①油っこさを除く②皮の口当たりを良くする③形態美をつける。改良を重ね発売したのが昭和2年でした。
中村屋の外国料理を語る上では、ボルシチ(ロシアの民族料理で、牛肉と野菜のスープ)もかかせません。
こちらは大正3年に来日したロシア人の詩人、ワシリー・エロシェンコ氏との交流から生まれたメニューです。
相馬夫妻(中村屋の創業者)はエロシェンコとの出会いがきっかけで、店員の制服を彼が愛用していたロシアの民族衣装 ルパシカにし、昭和2(1927)年にはロシア料理のボルシチ、昭和8(1933)年にはピロシキを発売しました。
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中村屋について調べてみて、ひとつひとつのメニューに様々なドラマがあることを知り、とても驚きました。さすがは創業120年近い老舗!
興味のある方はぜひ中村屋公式ホームページをのぞいてみてください。
「いただき物語」には、一つ一つの物語があって、そこから得られるたくさんの示唆があります。
どら焼 栗あんについて
- どら焼 栗あん
- 株式会社 中村屋
- https://www.nakamuraya.co.jp/
- 店舗、通信販売(栗あんはなし)